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佐藤さんのお役立ち気象歳時記

風炎(ふうえん)

「風炎」という言葉がかってあった。名づけ親は中央気象台初代台長(今の気象庁長官)岡田武松(1874-1956)である。山越えの暖かく乾いた風を「フェーン」と言うが、「風炎」は漢字によるあて字である。ひとたび「風炎」が起これば、春さすがの豪雪も一気に雪解けが進み、街は風の炎に舐められ大火の発生したこともあった。ところで「フェーン」という言葉は最近の猛暑・酷暑で気象キャスターの解説にしばしば登場するので良く知られていると思うが、その実態は意外とはっきりしない。

気象庁の用語解説では

「湿った空気が山を越える時に雨を降らせ、その後山を吹き降りて、乾燥し気温が 高くなる現象。または、上空の高温位の空気塊が力学的に山地の風下側に降下する ことにより乾燥し気温が高くなる現象」

とある。

今、麓で25℃の湿った空気が1000mの山脈を越えて吹く場合を想定する。風上斜面では水蒸気の凝結の際の潜熱の放出によって100mあたり約0.5℃の割合で冷える。そこで山頂に達した空気は20℃となる。ここで凝結した水蒸気は雨となって落下したとする。そうすると今度は100mにつき1℃の割合で、昇温しながら風下側に吹き降りる。結果、風下側の麓では30℃の高温がもたらされる。ここでのポイントは風上側で雨の降ることである。ところが実際は雨の降っていないことも多い。そこで、高気圧圏内で下降して昇温した上空の空気が、山越えして地上へ吹き降りてくることを想定した。これなら風上側で雨が降っていなくても説明がつく。実際、最初の説明だけでは不十分なことも多い。

2007年8月16日埼玉県熊谷、岐阜県多治見で40.9℃が観測されるまで、気象官署で全国1位の高温は1933年7月25日山形の40.8℃であった。この間の気温上昇や緯度を考えると、山形の記録は大変なものである。この高温は日本海の台風に向かって南よりの風が「風炎」となって盆地に吹き降りたためである。翌日の山形新聞は朝刊一面で「歴史的のあつさ 測候所でも驚く」の見出しとともに、「荷馬車の馬が心臓まひでも起こしそうな酷熱ぶり」と伝えた。ところが74年ぶりで国内1位の記録が無くなった山形では「国内最高を記録したことを啓発しようと取り組んでいただけに、抜かれたことは非常に残念」と無念さをにじませ・・・という複雑な思いが伝えられた。

大阪の最高気温1位は、1994年8月8日39.1℃である。この高温をもたらした原因は、高気圧に覆われ上空の暖かい空気が降りてきたこと、そのため冷たい西よりの海風が弱められたこと、連日の高温で貯熱効果が働いたためで、必ずしもフェーンとは言いがたい。しかし、台風が東シナ海を北上するような「東高西低」の気圧配置で、生駒越えの風が海風の進入を抑えるようなときは、大阪で「暑~い一日」となるのは間違いない。

執筆者紹介:

佐藤 英雄 (さとう ひでお) ・・ FIO会員、事務局担当のひとり

佐藤さんの写真 民間の気象会社に34年間勤務し、気象の観測・調査・設計、解説・予測などに従事。気象予報士でもあり、森林インストラクターの眼からみた「気象」のお役立ち情報を、月1回のペースで、わかりやすく解説します。